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高尾山薬王院の保護

 天平16年(744年)に行基によって開山された高尾山は、ここに薬王院が建立されて以来、時の権力者からも霊山としてあつく保護されてきました。
 特に永和年間(1375-76年)に俊源大徳によって飯綱大権現をご本尊として中興されてからは、武田信玄、上杉謙信など数々の武将達によって厚く信奉されたのです。

高尾山薬王院 武田信玄が国界(小仏峠)へ関を設け、武蔵からの通行を阻んだことがあります。この時、八王子の北条氏照がすかさず高尾山上に富士浅間社をまつりました。
 富士登拝の道を絶たれた関東一円の富士講中は、高尾山頂から富士山を拝したといいます。関がなくなった後もこれが慣例となり、江戸時代の富士講中はまず有喜寺へ詣で、高尾山頂から尾根伝いに小仏峠に出て小原宿(相模湖町)へ下ったようです。

 高尾山は自然の宝庫といいますが、これはこのように古くから有喜寺境内地として山の自然が厚く保護されてきたことによるようです。
 上杉謙信の制札として永禄4年(1561)のものなどが最古のものとして残されていますが、中でもこのあたりの領主であった北条氏康と氏照は、最も厳しいものとなっています。
 高尾の山中の木一本たりとも切るのを禁じ、これを犯したものは即首を切るなどして厳罰に処したといいます。また下草を刈ることも禁じたといいます。
 この命令は江戸時代にも引き継がれ、以来高尾の山は犯すべからざる霊山としてその美しい山の姿を今日まで保ってきたのかもしれません。
 かなり強権的ではありますが、自然保護のためにはこれほどの徹底が必要なのかもしれません。

 近年心ないハイカーたちが平気で植物や木々を根こそぎとっていったなどといったニュースを聞くとまったく残念でなりません。

 ところで上杉謙信の兜を知っていますか。南北朝時代に醍醐寺から入山した峻源和尚が飯綱大権現を奉ってから、高尾山ではこの神が信仰の中心となったわけです。

 その不動尊が白狐に乗っているようなご神体には鳥の嘴と羽があり額に白蛇を置く福神ですが、上杉謙信はこの神を信仰して兜に神像を飾ったのです。
 好敵手だった武田信玄も、あまり知られていませんが飯綱大権現をいつも携えていたようです。このように武将尊信の神だったのですね。


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