自らの喉を短刀で突き御主殿の滝に高尾通信

高尾山の雑学・豆知識

婦女子達は自らの喉を短刀で突き御主殿の滝に投じた

 八王子城は天正18年(1590)に前田利家、上杉景勝らが率いる豊臣の大軍に攻め込まれ一日にして落城したといいます。

 この時悲劇の舞台となったのがこのご主殿の滝です。

 戦国時代、籠城戦は、籠城する側を様々な手段を使って降伏させて開城させるといった先方、つまり敵味方の人命を優先する戦法が主流だったといいます。

 しかしながら、八王子城での戦は見せしめの意味もあった為、降伏する事も許されず徹底的に、まさに完膚なきまでに叩かれたのです。
 そして、八王子城に立てこもっていたのは決して武士たちだけではなく、不幸にも戦に巻き込まれた多くの非戦闘員が無残な死に方をしたのでした。
 丑の刻(午前2時ころ)から約3万の兵からなる豊臣軍は城下を焼き払いながら本丸めがけて攻め込んできました。
 激しい12時間にもわたる戦いののちついに力つき落城となりました。八王子城の女房たちは自分の愛する夫や家族のあとを追い、愛児を抱きかかえ次々とその身を滝に投じたと言われています。

 また、捕まった婦女子達は首を刎ねられ、その生首が小田原城へと運ばれたのでした。この時、小田原では、豊臣軍と北条軍の大規模な戦が繰り広げられていたのです。このため、八王子城から運んだ首を北条軍の前に晒して士気を下げるといった非人道的な知略が遂行されたのでした。
 そこで家族の前に首を晒されるくらいならと、婦女子達は自らの喉を短刀で突き、その身を御主殿の滝に投じたといいます。

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 今でもこの滝から水は流れ落ちています。土地の方でしょうか、滝のそばの慰霊塔の前には線香とお花が寂しげに飾られていました。

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