高尾山もみじの縁結び高尾通信

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もみじの縁結び

 高尾山の紅葉はその美しさでも有名ですが、昔から人々に親しまれてきたのは「もみじの縁結び」によるものも大きいようです。

 紅く染まったもみじの葉に自分が想う人の名や詩を書いて高尾の谷から吹いてくる風に乗せてとばすと縁や恋いのとりもちをしてくれるというのです。

 このいわれは、
 天河紅葉を橋に渡せばや七夕女の秋をしも待つ
(あまのがわ もみじをはしにわたせばや たなばたつめのあきをしもまつ)

 この歌で知られる中国の唐代の「紅葉の媒(なかだち)」の以下の中国の故事からきているです。中国唐の僖宗(きそう)のとき、書生の于祐(うゆう)が宮廷を流れる小川で詩の書かれた一枚の紅葉を拾った。于祐も紅葉に詩を書いて流し、宮女の韓(かん)夫人がそれを拾ったのが縁となって二人は結婚したという故事です。
 詳しくは以下の通りです。
 
 唐の僖宗(きそう)皇帝の御世(873~888)のある秋の朝のことでした。
皇城の裏手の堀端を一人の書生が散策していた。この書生は、名を干祐(かんゆう)といいました。科挙を受けるために長安に上京してきていたのでした。城壁の下に穿たれた半月型の橋の向こうは皇城内の庭園でした。
この橋の下を庭園の水が堀に流れ出ていた。そして橋の向こうには錦を敷きつめたような紅葉や菊花、築山が水面に映って見えました。

 この庭園はおそらく後宮のものであろう。干祐はふと後宮の宮人達の身の上に思いをはせるのでした。ああ、この城壁の向こうにはどれだけの美女達が、閉じ込められているのであろう。そう思うと、この堀の水も何だかもの悲しく思われる。
 そして堀端に佇み、ぼんやりと水を眺めていると、他の葉よりも一際大きな一枚の紅葉が流れてくるのが目に入るのでした。しかも葉には何か墨の色が見えるではないか。拾ってみると、優美な女の手蹟(て)で詩が書いてあった。

流水何太急  流れる水は何を急いでるのでしょう
深宮盡日間  奥深い宮居で過ごす日々
慇懃謝紅葉  思いを込めて紅葉に別れを告げる
好去到人間  人の世に到りやすきを

 祐は何だか宝物を拾ったような気になり、何度もこれを吟唱したのでした。そのまましばらく遠くのあの橋を見つめていたのだが、近くの楓(かえで)の林に赴き、一枚の紅くなりかけた葉を拾ったのでした。それに筆で詩を一首書きつけた。

曾聞葉上紅怨題  紅葉に怨みを書いたと聞いてます
葉上題詩寄与誰  葉に記した詩は誰に寄せるものでしょう

 そして、皇城に流れ込む堀の流れを辿って上流に行くと、その葉をそっと水に浮かべたのです。葉は水の上を右へ左へと漂いながら皇城の内へと吸い込まれていきました。

 それからどれほど時がたったでしょうか。僖宗は宮廷費の節約のために、後宮の宮人を民間に降して結婚させるという詔(みことのり)を下したのです。

 その時、祐は科挙に落第したためまだ長安に残っていたのです。彼はすでに三十歳近くになりながら、まだ独身でした。祐はふと、宮人ならばあの紅葉の主を知っているかもと思い、知人のつてを頼って話をまとめてもらうことにした。知人は韓翠蘋(かんすいひん)という宮人との縁談をまとめてくれた。

 さて、婚礼の夜、新婦と二人きりになった祐はあの紅葉を取り出したのです。それはこの紅葉の主を知っていないか、と問うつもりだったのである。ところがその時、新婦も一枚の楓の葉を取り出した。それには祐の詩が書きつけられていた。
 この話を聞いた者は皆、紅葉の取り持つ縁の不思議に感嘆したといいます。

 なお、もみじはなるべく濃いものをひとつだけ選ぶそうです。濃いは恋につながるとか。みなさん試してみては。

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