高尾山の雑学・豆知識

真言宗と高尾山薬王院

 高尾山薬王院は、正式には高尾山薬王院有喜寺といい新義真言宗宗智派に属しています。
ここでちょっと仏教と真言宗についてお話しましょう。

 仏教は紀元前五百年前後にインドの北部地方にて、釈尊が開かれた宗教です。釈尊は覚者・仏陀・釈迦牟尼とも尊称されています。
 釈尊の教え(仏教)は十大弟子たちによって、大きな教団として発展していきました。その後、世界の歴史二千数百年の流れのなかで、仏教は世界各国に伝わり世界の宗教となりました。真言宗は仏教の歴史的なあゆみのなかの大乗仏教として、インドから中国・日本と三国の八人の高僧によって伝授されたとされます。

 それらの高僧は「真言宗八祖像」としてまつられています。日本では弘法大師空海によって真言宗は立教開宗されたものであり、すでに千二百年の歴史があるわけです。
 平安時代の中頃、弘法大師・空海(774-835) が真言宗を始めました。弘法大師の当時の日本の仏教は、奈良の諸大寺において官立の学問として研究することが主でした。

 大師も中国の哲学や思想や奈良で仏教についても学びましたが学問だけの仏教では人々の悩みや苦しみを救うことができないのではないかと疑問をいだいたのでした。

 そして、山野を躯け巡り、厳しい修行をなし、ついに「大日経」という真言密教の真髄を説いたお経に出会ったのでした。その後中国に留学し苦労の末に恵果和尚から「大日経」が説くこの世界にあって人々を悟りの世界に導くことができるという究極の仏教を伝えられました。それを日本に持ち帰った大師は真言宗を開き京都の教王護国寺(東寺)と高野山を拠点に教えを広めていったのです。 

 真言宗智山派の総本山は智積院といい、京都の東山七条にあります。智積院の名は根来山内に建てられたお寺に由来しています。
 正応元年(1188)に大伝法院や密厳院が根来に移築され、学徳に秀でた頼楡僧正により根来山はいよいよ発展し、天正年間には坊舎が二千余も立ち並んだといわれています。後に高野山の教えは古義、根来の学風は新義といわれました。

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