高尾山の雑学・豆知識

役行者と修験道

 高尾山薬王院への参道の中ほど、霊気満山と額がかかった山門そばの神変堂は、昭和44年に改築されたが、入母屋造りの銅板平葺。 堂内には山岳修験の祖である「神変大菩薩 役小角」(役行者)が安置されている。
 さて、この役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃじんべんだいぼさつ) 修験道の開祖、役行者は謎と不思議とさまざまな伝説につつまれた人である。  

 日本に正史『続日本紀』によると役行者は634年(舒明天皇6年)元日、賀茂役氏の娘白専女(母)と問賀介麿(父)との間に、葛木山(かつらぎさん・昔は葛城・金剛山を合わせて葛木山と称した)ふもとの御所市茅原で誕生。名は小角(おづぬ)といい、幼少の頃より葛城山で修行するなど山林修行や苦行を行った。金峯山にて金剛蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれたと伝えられています。  やがて修行の高まりと共に、強固な精神力と、煩悩を克服した境地に達し、呪術家としての名声は天下に鳴り響りました。権力者、藤原鎌足の病気を治したというから、その天才のほどが分かろうというもの。    
                          
 『続日本紀』の文武天皇3(699)年、小角は弟子の韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言によってに、伊豆島に流罪になったという記事がある。罪状は「鬼神たちを思うままにあやつり、世間を惑わせた」というもの。『日本霊異記』によると小角は囚われている間も毎夜、富士山で修行にはげんだという。彼は海を風のように走り、鳳凰のように空を飛んだそうだ。  
 3年後に許されてから「仙人になって大空に飛び去った」とか「母親とともに唐に渡った」など諸説ある。701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都に戻られました。同年6月7日68歳で、箕面の天井ヶ岳にて入寂されたと伝えられていますが、晩年の消息は不明である。  

 異説も多く、「昇天した」「母を鉄鉢にのせて海を渡って入唐した」などと多くの伝説が残されています。  
 前鬼、後鬼の二鬼神を自在に働かせることができたと言いますが、その尊像の多くは、折伏した2匹の鬼(前鬼後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られています。  
 小角の名声は後世ますます高まり、平安時代に“行者”の尊称を贈られて以来「役行者」と呼ばれるようになった。さらに寛政11(1799)年、光格天皇より「神変大菩薩」の尊号を賜わった。「神変大菩薩」と称えられたのは歴代の高僧の中でも役行者ただひとりである。    

 さて、この小角が樹立した修験道はわが国古来の山岳宗教(自然崇拝)に仏教、神道、道教などが結合されて成立した我が国独特の民族宗教であると位置づけられています。  
 高尾山でも盛んであったこの修験道(=山岳信仰)は、言い換えると「神道と仏教が融合したもの」であり山岳に対して日本人が古くからいだいていた畏敬の念が、仏教という思想によって改造されたものといえます。特徴の一つに「神仏習合」があり、鳥居のあるお寺や仏像のある神社といった形のものがあります。この神仏習合 は平安時代に始まったものですが、明治になって国家の「神道政策」を押し進める上で仏教が邪魔となり、国の強制的な神仏の分離の政策によって「廃仏毀釈」が行われたのです。  

 またその基本は、教理を探究するのではなく大自然の霊気の中で修行を積むことにより、人間の本能的欲望を断ち切り、即身即仏の境地に達しようとする実践実修の宗教」、つまり1本の樹木と化し たように山にとけこみ、自然と一体化することで精神性が高められるのだという。  
 修行得験とか実修実験とか表現されるように、霊山幽谷に分け入って、命がけの修行をし、霊力、験力を開発する道と言えます。修験道の開祖として尊崇される役行者に「修行は難苦をもって第一とす。身の苦によって心乱れざれば証果自ずから至る」という聖句が伝えられていますが、修験道は自ら修して、自らその験しを得るところに真髄があるのです。  

 修するとは、役行者の教えの道を修するのであり、験しを得るとは、単に験力や神仏の加護を獲得するではなく、究極は自らの心の高まり(菩提心)を得ることに他なりません。
 自らの身体でもってそれぞれに体験し、その精神を高めていくというあり方は、ある種、万人に向いた親切な教えであると言えるでしょう。  
 加えて、役行者が終生を在家のまま通されたことから、「役優婆塞(エンノウバソク)」と呼ばれますが、修験道は開祖の遺風に拠って、在家主義を貫いています。
 優婆塞とは在家の信仰者ということです。つまり真俗一貫、在家の生活を守ったまま、仏道に叶う生き方を見つけていく、自らを高めていく、ここに修験道の真骨頂があります。  
 日本人は昔から山を神聖な場所として崇め尊んできたので、山の頂上には祠(ほこら) があり麓や山中には神社を造りました。 関東地方にも沢山の修験の山があります。        
 ご存知の通り高尾山には薬王院という真言宗のお寺があり、本堂の奥には鳥居を持つ神社建築である極彩色の権現堂があります。 飯縄大権現を本尊としており、「カラス天狗の姿をした神」で、長野県の飯縄山から勧請し本地仏は不動明王ということです

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