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高尾山薬王院への参拝は、古くから多くの「講」が作られ、この講中によって代々信仰が受け継がれていきました。高尾通信



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4−8.講

 高尾山薬王院への参拝は、古くから多くの「講」が作られ、この講中によって代々信仰が受け継がれていきました。

 江戸中期には講中登山の流行が起きました。大山詣りがそれです。
 もともと我が国には山岳信仰がありました。
 天狗信仰の大雄山、迦葉山などとともに関東九山の一つとして、高尾山の講中は100を超えると言われていました。

高尾山講 高尾山薬王院の記録によると室町時代に富士浅間神社を勧請したとの記録、つまりは富士山のご祭神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)にご出張願ったとの記録があります。
 それは、遠く富士山まで行かずとも高尾山にお参りすれば同じご利益があるというものです。
 富士信仰の人々がこの霊峰を仰ぎ見ることのできる高尾の富士浅間神社を目指して通った道です。
 高尾山の名の由来そのものが、高天ヶ原(タカマガハラ)、つまり富士山から遠く連なる山々の「尾」にあたるところから「高尾山」と呼ばれるようになったという説からも富士山と高尾山の密接な関係が窺い知れますね。

 江戸末期から明治にかけては、高尾山護摩講が作られたくさんの信心深い高尾山浅間神社人々が薬王院に参拝しました。
 また江戸町民による百味を奉納する「百味講」や東京吉原の鳶職によって高尾山参詣講として行われ、八王子の鳶職がこれを受けて続けるようになったといわれる「高尾山永久お花講」等からも高尾山の講の多さを物語っていると思われます。
 薬王院によれば、現在の高尾山の講は約500、参拝集団としては800を超えているということです。

 講は、現在でも生まれています。2017年1月16日、「高尾山有喜講(ゆうきこう)」が誕生し、八日町で設立記念総会が開かれました。
 薬王院の講は、市内を代表するものとして100年以上の歴史がある「有信講」と1990年に発足した「八隆講」がある中で、今回の講には幅広い世代の経営者を中心に、47人が参加した。

高尾山から富士山を望む 薬王院の講の新設には原則30人以上の講員が必要となるが、今回の有喜講には47人の参加があった。
 名称は、薬王院の正式な寺名「高尾山薬王院有喜寺」からとられたとのことです。

 しかし、やはり、信者が行きたいのは富士山です。高尾山薬王院から甲州街道の小仏峠に通じる道を昔は「富士道」といっていましたが今は廃道となってところどころにしかその面影をみることはできません。
 高尾山頂手前にある浅間神社を出発し、歩いて富士吉田に向かうといいます。まさに江戸時代、富士講の信者たちが歩いた道です。富士吉田から、さらに徒歩で富士山頂に登拝し、山頂にてお鉢巡りをするというのです

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