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高尾山近辺の古代遺跡

荒井遺跡

 1987年、高尾山の麓、裏高尾の荒井にあった旧上長房分校の北側周辺で縄文早期(8000年前)の落とし穴2カ所、土器片43個、石皿、摺り石、叩き石、石小刀、石鏃、黒曜石、チャートなどが見つかりました。
 どうやら荒井遺跡は、この時代の集落跡・猟場のようです。というのも 落とし穴は底に先のとがった棒を打ち込んだ直径1.5m深さ1mの穴で縄文時代の人がイノシシや鹿などの小動物をとらえるために作ったと思われているからです。
 また、中世の溝状遺構、陶磁器(青磁・天目茶碗)も出土。これらは八王子城や椚田城などと関係のある中世の防衛のための遺構とみられます。

 また、近くには「猪鼻山遺跡」もあり江戸~明治期にかけての炭焼き釜跡4カ所が見つかっています。
釜の長さ3.5m 幅1.3m 深さ1.5mのフラスコ型で石と粘土で築かれています。釜の内外からは、ガラス管・煉瓦・茶碗が出土しており、この高尾山一帯が炭の産地であったことをうかがわせます。

 それにしても、いわゆる圏央道は、これら貴重な史跡、文化財を串刺しにしています。裏高尾には上記のような遺跡の存在が認められており、まだ詳細は不明ではあるものの、この地区一帯に城郭外郭遺跡の存在する可能性があるといわれています。

船田遺跡

 八王子の長房団地内、八王子市立長房児童館の北側に, 現在は広場となっている船田遺跡は、昭和2(1927)年に発見された敷石住居跡で、国の史跡になっています。

 船田遺跡と呼ばれたこの遺跡からは,都営長房団地建設のための事前調査で、敷石住居が1軒見つかり当時としては貴重な資料であったため,翌年史跡に指定されました。
 以後,発掘調査が行われ, 昭和43年以降、古墳を含む318基住居跡が確認された。現在横穴式石室をもつ古墳一基が保存されています。

 うち199軒までが鬼高期(おにだかき)の住居であるといいます。鬼高期は、6世紀頃、住居の形態に大きな変容が現れた時期であり、竪穴の掘立柱づくりだが、カマドと貯蔵穴が備わっていることにあります。このカマドの出現が鬼高期の大きな特徴となっているのです。
 それまでは調理用に不可欠だった炉にかわって、カマドが使われるようになったことを示しているわけです。一緒に出土する土器も、カマドにかける長甕(ながかめ)、甑(こしき=蒸し器)が、あり、これらが使用されたようだが、これら土器の形や大きさにははっきりした規格性が認められるといいます。
          八王子駅からバス児童館前下車



椚田遺跡

 八王子の歴史は、古くは縄文時代にまでさかのぼるといいます。
 市の中央を流れる浅川とその支流周辺に人々が住み着いたのが起源とされ、このことから八王子はどこを掘っても縄文時代の遺跡が出てくる土地柄でもあるようです。
 区画整理や道路を拡張する時、新たな遺跡が発見されることも多いようです。
 1975年に真覚寺近くの椚田丘陵でも5ヶ所の遺跡が確認されています。

 さて、このあたりは南方に湯殿川河畔の低地を見下ろす丘陵地帯で、この遺跡からは縄文中期から古墳時代の後期に至る各時代の遺跡が 重複して発見されており、先史時代からかなり後の時代まで、人々は河川付近の段丘面にのみ集住して暮らしていたことがわかります。
 建て替えや拡張した痕跡のある住居跡もあり、規模も第1遺跡から第5遺跡まで,約150米の輪の中に270軒もの住居跡が発見されている市内でも有数の埋蔵遺跡です。

 大小様々の方形周溝墓、住居址(弥生末期~古墳初期)が発掘されており、その他、米や栗、稗など食料、鉄器、土器、装飾品など数多い遺物も出土したそうです。丘陵部に栄えた縄文時代のムラの姿をよくとどめているのだそうですが、保存状態が良かったので国の史跡に指定され、平成元~2(1989~90)年に整備工事が行われ,現在遺跡公園となっています。

 この遺跡公園はほぼ長方形で、中央に「芝生広場」を置き、周囲を木立が取り囲む。南側にメインエントランス的位置づけの入口があり、縄文式土器を象ったオブジェが置かれて、公園の性格を象徴している。その横手には「集合広場」と名付けられたスペースがあり、縄文時代についての解説板などが設置されています。公園に立ち寄ったときにはぜひ目を通しておくことをお勧めします。
 また、公園の東側には「縄文の林」、「縄文の草地」と名付けられた一角があり、縄文時代に多く見られたと考えられる植物が再現されているという。

 遺跡からの出土品は、八王子市郷土資料館と東京都埋蔵文化財センターに保管されており、郷土資料館ではその一部が常設展示されています。

JR西八王子駅南口、または京王線めじろ台駅より 京王バス
グリーンヒル寺田、法政大学、東京家政学院 行きで
バス停「椚田北」下車、徒歩5分

八王子市椚田(くぬぎだ)町541



中田遺跡公園

  中田遺跡は,八王子駅の北西2.5キロ、浅川の支流川口川下流の左岸,川が削り残した東西約600m,南北約90mの低位河岸段丘に沿う、都営中野町団地の一角にあります。  

 このあたりは、縄文時代から古墳時代の複合遺跡として知られており、昭和41年,団地の建設の際に,約3万平方メートルの遺跡の発掘調査が行われ、調査の結果,縄文時代から奈良・平安時代までの140数基の竪穴式住居跡が確認され、関東地方でも最大級の規模を持つ集落であったことがわかりました。

 公園内には、古墳時代の一辺が11mをこえる大きな竪穴住居が1棟復元されています。屋根は類似入母屋造で入り口は妻入り、入り口屋根は切妻造です。 復元住居内へは柵があり中に入れませんが,公園管理人に申し出れば内部の見学が出来ます。  

公開時間  9:00~12:00,13:00~16:00   
休園日   月曜日・金曜日(ただし休日と重なった場合は翌日),年末年始   
申し込み  当日,直接管理事務所で手続き。
見学料   無料        

団体の場合は事前に市教育委員会社会教育課まで連絡。         

TEL: 0426-20-7405 または 八王子市役所(0426-26-3111 内線4303)   
西東京バス 八王子駅-中野団地行き「遺跡公園」下車すぐ
国道16号,稲荷坂手前(南)の信号を左(西)へ中野団地に向かう

北大谷古墳

 中央自動車道八王子インターチェンジの南側の丘陵にある古墳時代の末期の築造とされる円墳で直径約30メートル、高さ3メートル余りの大きさです。

 周溝が部分的に存在する。出土遺物に土師器があるが、葺石や埴輪は確認されていない。埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、全長約10m。石室構築前に掘り込み地業と呼ばれる基礎工事が行われていたことも確認されています。
 凝灰岩の切石を用いて構築されており、玄室部は平面が弧を描く「胴張り型」になっています。
明治32年土地の人により発見されて翌年発掘調査が行われ、都指定の旧跡となっています。現在は、古墳をおもわせる小高い丘があるだけです。

八王子駅からバス大谷下車10分 参考資料   
「歴史と浪漫の散歩道」 八王子市文化財ガイドブック = 八王子市教育委員会編
「八王子の歴史と文化」 八王子市郷土資料館編

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