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浅川氾濫の歴史

浅川の概要

 浅川は、八王子市の高尾山などの山岳地帯を水源とし、市内を流れ、北野町を経て日野市に入り、多摩川に注ぐ川です。
 119.8km。かつては「あざかわ」と呼ばれた時期もあったようです。この浅川流域には古くから上恩方に浅川稲荷神社(北浅川), 裏高尾(南浅川)に浅川神社があり, 流域に生活する人々の川に対する畏敬の心の現れが 祭祀という形で残されています。

 本川の北浅川と南浅川、城山川、川口川、また、めじろ台を水源として市の中心部の南を東に流れ合流する「山田川」、あるいは館町の西から湧き出て東流して長沼のあたりで合流する「湯殿川」の支流を持ちます。これらの流域をさして八王子盆地ともいいます。

八王子市の市街地はこの川によって作られた河岸台地上にり、言い換えれば、八王子はこの川の河岸に沿って発展した町と言えます。

 高尾近辺の浅川は散策路・サイクリングロードも整備されていてのんびりと散歩にはもってこいです。高尾駅から水無瀬橋のあたりまでのルートは、ゆっくりと歩いても2時間とかからないでしょう。ちなみに高尾駅は以前に「浅川」と言いました。
 そして、かつて「東浅川」という皇室専用の駅もありました。桜の季節にお花見を兼ねてのんびりと散策、あるいは、ところどころにつつましく咲いたコスモスの花を眺めながら秋の散歩もいいですね。

 陵南公園の下流側に架かった「南浅川橋」は大正天皇陵造営の際の参道整備に伴って架けられた橋です。
 1927年(昭和2年)の架橋当初は木造の橋だったのですが、現在ははコンクリート製の美しいアーチの橋に変わっています。

浅川は暴れ川

 この川は小さいながらも結構な暴れ川で, 記録に残っているものでも,貞享2年,宝永2年,安永9年, 文政6年,安政6年,明治に入ってからでも明治29年,40年, 昭和19年,23年に氾濫,橋の流失などの被害がもたらされています。

 八王子の代官であった大久保長安も浅川の治水には苦慮しており、治水のために築いたとされる石見土手(長安が「石見守」と名乗っていたことから)は有名で、現在の並木町から元本郷町にかけて築いた町囲いの堤防です。
 大久保長安の名とともに八王子に伝わる多くの事跡には傍証資料がなく、ほとんどが伝承となっています。これは、没後に長安生前の不正を理由に大久保家が断絶させられた時に関係者も厳しい処罰を受けたために文書等が隠滅されたことによると思われます。しかし、治水に関しては江戸時代中期以降の記録の中で一致して長安の功績として伝わっているようです。
 幕府の公式地誌調査である『新編武蔵国風土記稿』(1810年(文化七)起稿、1830年(天保元)完成)の十五宿の一つ嶋之坊宿の項に「石見土手 浅川の岸通り案下への往来にあり、長さ南の方八十八間(約160m)、北の方百八十八間(約338m)にて、当宿にかかること四十五間(81m)なり、初め大久保石見守が指揮にて築きしゆえこの名あり」とあります。
 岩見土手は、現在は千人町宗格院境内にすこしだけその名残がありますが,いずれにしてもいかに浅川の洪水対策に腐心したかがうかがい知ることができるでしょう。

  また同様に八王子市東浅川町川原ノ宿は、かつては北浅川の水路で洪水に悩まされていたが、万治年中に設楽杢左衛門が、川筋を北に変える治水工事を行い、この治水の功績で江戸幕府から9斗の除地を享け賜ったと伝えられます。
 現在の南浅川は両界橋で甲州街道を横切つて北流していますが、万治年間(1658~1661)には神明神社の真下で東流し、浅川駅(現、高尾駅)前を流れていたといわれます。村境を南浅川が急角度に曲つているため増水するとたちまち氾濫、現在の浅川町(高尾町浅川地区)一帯を水びたしにしては農民達を苦しめていました。
 これを憂うたのが郷士格をしていた設楽杢左衛門でした。自分の余生と全財産を放り出し公儀に願い出て治水工事にとり掛かりました。
 設楽杢左衛門は急曲する川筋を北に変える治水工事を行うべく、約七ヵ年間の年月を費やして、これを完成させたとされています。
 苦心の末工事が完了するや杢左衛門は護岸のため根がひろく強く張る「さいかち」の樹を両岸に数百本植えました。
 この川筋に数百本植えられたとされるサイカチの木は、現在ほとんど残っていませんが、ただ一本だけ(両界橋)北側(の右)岸に残存するようです。  

そして清流が戻った

 明治43年度版の八王子案内には浅川の夕景を序して『夏のよる、浅川橋あたりを逍遥すれば、水声潺湲(せんかん)として昼間の暑熱を洗い、時には蛍火の散乱するを見る、青蛙の閣々(かくかく)たるを聞けば身骨爽涼(そうりょう)として帰路を忘れる』と書かれています。

 最近、浅川は水質が改善して、絶滅危惧種のホトケドジョウが住むようになったとか。多摩川合流地点からここまでのあいだに少数だが生息地があります。

 また、八王子市役所の北、鶴巻橋から浅川左岸を上流へと向かい、南浅川との合流点を過ぎ、城山川との合流点を過ぎたあたりは、露出した砂質泥岩が流れに削られて面白い景色をみせている。この付近には,約百数十万年前に陸域で形成された上総層群最下部の飯能層とよばれる地層が分布しています。
 そしてこのあたりには学術的にも貴重なメタセコイアの切り株の化石が多数露出した場所があります。それはかつてこのあたり一面が豊かな森であったことを物語っているといえるでしょう。
 平成3年に、浅川の河川敷の補修工事が行われ、この貴重な化石林を一部壊さねばならないことになり、地元の強い要望で説明板などが設置されたようです。
 メタセコイア化石林を見ようとすると、八王子市役所北の清川2号公園あたりから浅川河川敷に降りると、この一帯が露出の多い化石林です。

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