高尾の豆知識 


  

2-2.案下道


 

 高尾山に向かい追分で甲州街道と分岐する陣馬街道は、南浅川の水無瀬橋を渡り、四谷、諏訪宿、弐分方を経て、恩方へと続く。そして恩方から陣馬山脇の和田峠を越えるともうそこは山梨県となる。江戸時代は、この街道を「案下道」とも呼び、甲州裏従来、或いは甲州脇縦環とも呼んでまさに甲州街道のバイパスとして重要な役目を果たした。当時は駄馬が一日に100頭近くも行き来した賑わいを見せたという。

 さてこの案下道の中程に浄福寺があるが、この付近一帯は、案下城との呼び名を持つ浄福寺城の城跡です。主郭部は千手山(356.4メートル)一帯で寺は城主の居館跡ではないかと言われています。その城主は、北条氏以前にこの地一帯をとりしきっていた大石氏ではないかとされています。

 築城については二宮から本城を移したと言うより分家(支城)と考えたほうがよいようです。世の中が平穏になってきたので山城を築く必要もなかったのでしょう。甲斐国が武田信虎によって統一されたのは大永元年(1521)なので古案下道を押さえるほどの必然性はなかったと思われます。大石氏は北条氏に吸収されるまでこの地方に勢力をもっていたわけなので所領内にいくつかの城館をもっておりこの城はその中のひとつと見たほうがよいようです。



 



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