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3-6.御陵参拝客争奪戦(!?)


 JR高尾駅から程近く、多摩御陵があります。今では、ちょっと考えにくいのですが、昭和2年に御陵ができたころは、高尾山と並ぶ観光の一大ポイントだったのです。したがって、この観光地にどうやって人を運んでくるか、客を輸送するかは、輸送業を営む者にとっては、思案のしどころであり、また格好の儲けのねたであったわけです。

 そこで、まず先陣をきったのが、京王電気軌道でした。参拝するなら「京王」でと、東八王子まで参拝客をとりあえず運び、そこからは八王子市のバス会社と提携し、御陵まで今で言うシャトル便を運行させたのです。2番手は武蔵中央電気鉄道でした。昭和4年に八王子市内から甲州街道を使い御陵を経由して高尾山麓まで結ぶ路面電車を走らせたのです。

 国鉄も黙っていません。中央本線を浅川駅(現在のJR高尾駅)まで伸ばして対抗です。これをじっと見ている京王ではありません。東八王子から浅川に沿って御陵まで結ぶ新線を計画したのでした。しかしこれには八王子市議会から「待った」がかかってしまいました。市街地が分断されるいうのが言い分です。市議会を相手に喧嘩はできないと、今度は北野駅から南へ廻って御陵へ進むルートを計画、なんと1年で北野-御陵前線を設置し、新宿からの直通運転まで始めてしまいました。

 この御陵前駅は、それは立派なもので神殿風であったといいます。皇族の参拝も狙い、皇族専用の豪華特別列車まで建造し、さあいらっしゃいと待ち構えたまではよかったのですが、皇族方は、国鉄の東浅川駅を利用してしまい、戦争が始まるとこの線は廃線となってしまいました。また、武蔵中央電気鉄道の路面電車もなかなか利用客が伸びず、昭和13年には京王に譲渡、その1年後には廃線となります。わずか10年の短い路面電車でした。

 尚、京王は、戦後、この廃線となった北野-御陵前線の一部路盤を有効利用し、高尾線を昭和42年に開通させました。




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